卒業した生徒が亡くなった

20歳でした。
体の都合で苦しみの多い人生だったと家族の方がおっしゃっていました。

私は3年間教えました。
「彼の将来に必要なことを」と悩みながらの授業でした。

「体が動きづらい生徒に数学のなにを教える?」
「彼にとって役に立つことはなに?」

いまも思います。
「あの当時教えたことは果たして意味があったのだろうか?」と。

「役に立つ」「意味がある」
この考え方から出発すると行き詰まることが多いと感じます。

しかし、あの生徒と「同じ」ときを過ごした時間の厚み、このことは私の人生にとって意味があり続けるでしょう。

「役に立つ」「意味がある」は頭の世界。そうではなくて、人生にとっての。

確かに「同じ」ときと感じられた瞬間。彼にとってもそうだといいのですが。

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