卒業式はそれまでの自分を捨てること

明日からは社会人、高校生、明日からオレは・・・。卒業式はこれまでの自分を捨てる儀式だと思う。

生徒の成長にとって大切な節目を作るための
行事。「あなたたちは前に進まなければならないのですよ」と送り出す行事。

認知科学では「決断」自体がその人のものの見方、考え方に影響を与えるという知見がある。

ところで、決断とは「断つものを決めること」でしかない。つまりこれは、いわゆる「勇気」のような精神論とはまったく無縁のものであり、認知科学的に言えば、自分の認知のなかから「捨てるべき現実」を決定する作業にすぎないのである。決断とは単に「脳のなかの出来事」でしかないのだ。
しかしながら、この「単なる脳のなかの出来事」は、認知レベルでは大きな意味を持つ。

(李 2021)

儀式をして送り出す。そうすることで生徒が前に進む。だから大がかりに式を用意する。言葉も厳粛に。音楽や飾りつけをして非日常空間を作る。

そんな状態のまま「Have toを捨てる方策」を練ったとしても、ホメオスタシスの強固な砦を打ち破ることはできない。まずHave toを捨てる「決断」をしないかぎり、われわれの脳はこれまでと同じことを繰り返してしまうだろう。 実行が難しく思える事柄ほど、先に決断を下す必要がある。決断する段階では「どうやって捨てるか」「捨てたあとどうするか」はいったん思考の外に追いやるほうがいい。これを考え出すと、ホメオスタシスが働き出してしまい、内部モデルの変更が起こり得ないからだ。「決断が先、プロセスは後」がHave toを捨てるときの大原則なのには、こうした理由がある。

(李 2021)

「おめでとう」と言いながら涙があふれる、その理由は「これまでとを断つこと」をも意味するから。

思い出の分だけ悲しかった。

参考文献

  • 李 英俊, 堀田 創 (2021)『チームが自然に生まれ変わる 「らしさ」を極めるリーダーシップ』、ダイヤモンド社

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